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To My Beloved Husband
私たちがどう感じようとも、神さまは現実な方!
物事が順調に動いている時に神さまを礼拝するのは容易い。現実に目の前にある状況を感謝すればいいからだ。
しかし、最も深いレベルの礼拝とは、痛みの中にあるにも拘わらず神さまを褒め称えることだ。理解を超えた試練の只中にあっても主イエスの十字架の御業に感謝し、神さまに脱出の道を備えてくださっている事に信頼し、苦しみの中にあっても神さまにすべてをゆだね、神さまの臨在が全然感じられなくても神さまを愛する。
神さまは私たちとの友情関係を成長させるために、沈黙断絶のように思われる期間を用いて私たちを試される。イスラエルの王様であったダビデも神さまの臨在が全然感じられないことに文句をぶつけている。
『主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。(詩篇10:1)』もちろん、神さまはダビデを見捨てたりはしなかった。
神さまの約束は、『わたしは決してあなたから離れず、またあなたを見捨てない』である。しかし、『あなたはいつも、わたしの臨在を感じるだろう』とは約束されなかった。だから、神さまの行方不明を感じる場面は、何度か通らされるのが普通である。痛みと動揺が伴うが、私たちの信仰の成長のためには欠かせないからだ。
神さまが自分の人生に働いておられるという明確な証拠を見出せなくても、神さまを愛し、信頼し、従い、礼拝することができるだろうか。これこそが、最も深いレベルの礼拝なのだ。神さまは私たちが神さまの臨在を感じて欲しいと願う以上に、どんな時にも私たちが神さまに信頼することに関心がおありなのだ。神が喜ばれるのは私たちの信仰であって、私たちがどう感じるかではない。
ダビデのように、
1)神さまを信じる
2)神さまは祈りに耳を傾けてくださると信じる
3)神さまに素直な感情をさらけ出しても、神さまの愛は変わらないことを信じる。
道のない砂漠に放り出されたような時こそ、主イエスを褒め称えるのだ。落ち込んでいる時でない。なぜなら、『わたしが道であり、・・・・』と断言され、不可能な状況を可能に変えることができる方だからだ。ジーザス最高!I love Jesus and I love you, my dear.
私たちがどう感じようとも、神さまは現実な方!
物事が順調に動いている時に神さまを礼拝するのは容易い。現実に目の前にある状況を感謝すればいいからだ。
しかし、最も深いレベルの礼拝とは、痛みの中にあるにも拘わらず神さまを褒め称えることだ。理解を超えた試練の只中にあっても主イエスの十字架の御業に感謝し、神さまに脱出の道を備えてくださっている事に信頼し、苦しみの中にあっても神さまにすべてをゆだね、神さまの臨在が全然感じられなくても神さまを愛する。
神さまは私たちとの友情関係を成長させるために、沈黙断絶のように思われる期間を用いて私たちを試される。イスラエルの王様であったダビデも神さまの臨在が全然感じられないことに文句をぶつけている。
『主よ。なぜ、あなたは遠く離れてお立ちなのですか。苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか。(詩篇10:1)』もちろん、神さまはダビデを見捨てたりはしなかった。
神さまの約束は、『わたしは決してあなたから離れず、またあなたを見捨てない』である。しかし、『あなたはいつも、わたしの臨在を感じるだろう』とは約束されなかった。だから、神さまの行方不明を感じる場面は、何度か通らされるのが普通である。痛みと動揺が伴うが、私たちの信仰の成長のためには欠かせないからだ。
神さまが自分の人生に働いておられるという明確な証拠を見出せなくても、神さまを愛し、信頼し、従い、礼拝することができるだろうか。これこそが、最も深いレベルの礼拝なのだ。神さまは私たちが神さまの臨在を感じて欲しいと願う以上に、どんな時にも私たちが神さまに信頼することに関心がおありなのだ。神が喜ばれるのは私たちの信仰であって、私たちがどう感じるかではない。
ダビデのように、
1)神さまを信じる
2)神さまは祈りに耳を傾けてくださると信じる
3)神さまに素直な感情をさらけ出しても、神さまの愛は変わらないことを信じる。
道のない砂漠に放り出されたような時こそ、主イエスを褒め称えるのだ。落ち込んでいる時でない。なぜなら、『わたしが道であり、・・・・』と断言され、不可能な状況を可能に変えることができる方だからだ。ジーザス最高!I love Jesus and I love you, my dear.
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