ゴスペルin動画

 ゴスペルをコンテンポラリーな分野から紹介していき、日常生活の中で元気をもらっているいきさつを綴っていく日記。
 


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神さまが僕の人生にしてくださったことをいつも分かち合いたいと思っています。オーストラリアのクリスチャンの家庭で生まれたにもかかわらず、神さまが手足のない男を用いて何ができるんだと理解しがたかったです。

孤独を感じ、神さまも僕のことを忘れてしまったとよく感じたものでした。奇跡を期待して、手足が与えられるように祈りました。だって、聖書は、求めなさい、そうすれば与えられるからと言っているし。。。。

そして、なぜ僕がここにいて、僕の存在は何のためなんだと思いつめていました。

僕の人生が変わったのは、僕が15歳の時に、自分の人生にジーザスに介入してくださるように求めた時からです。

盲人について書かれてあるヨハネ9章を読んだ時、彼がこのような状態で生まれたのか誰も分からなかったのです。

突然に神さまへの信頼と平安の波が僕の心に入り込んで、神さまは僕の事を忘れてなんかいないっていう事がはっきりとわかりました。あの目の見えない人の事を忘れていなかったし、彼に神さまのご計画を用意しておられました。
そして神さまは僕に特別な計画がある!
僕に神さまの計画が理解できないからといって、ないわけではない。

僕たち多くの者は真剣に神さまに信頼を置く前に、僕たちの周りを変えてくださることをもとめます。
でも、神さまに関して驚くべきことは、キリストにある勝利は、周りの状況を変える前に僕たちの心を変えることがおできです。

僕の場合は1例にすぎないです。
神さまは、僕にミラクルを与えないにせよ、僕自身をミラクルにしてくださる。
手足のない一人の男を、主の手足となって用いることができることです。
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クリスチャンは、イエスさまを自分の心に受け入れたときに、これ以上にない贈り物をもらっていることを忘れがちなものです。神さまは私たちに新しい心をくださったのです!


『あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行なわせる。(エゼキエル36:26,27)』


私たちの心は、自分がどういう者であるかを表す核心でしょう。心の状態が、気持ちに影響し、自分についてどう思うかを定めてしまうし、何よりも自分の行き先を決めてしまうのです。神さまを知性で理解しようとして、行動でもって従おうとするかもしれませんが、うまくいきません。自分の心に神を受け入れ、自分の心におられる神である聖霊が私たちの行ないを助けてくれます。


喜び、希望、パッションすべて心から流れてくるものです。同じように落胆、絶望、苦しみもそうです。


だから、自分の心をガードすることはとっても大切なことなのです。

『力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。(箴言4:23)』

The New Living Translationによると、『何にもましてあなたの心は見張りなさい。あなたの人生の行き先を決めるからです。』とあります。


あなたの心を見守るのは、あなた自身です。神さまでも天使でもありません。あなたの上司でも、親でもありません。あなたが、あなたの心の門番になるのです。


意志力とか、宗教的な義務を果たすことで、心をガードできるものではありません。神さまの霊に頼ってのみ可能です。



じゃあどうやって。。。。?ではまた



サンキュ~ジ~ザ~ス

     
『わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。(ヨハネ16:33)』



私に大きなインパクトを与えている一人が、ニックさんです。彼は生まれた時から、手足がありません。ご両親はとっても敬虔なクリスチャンで、彼の誕生を当初心から喜べませんでした。『なぜ、こんな事がおこるのか?』

お母さんの方はうつの状態になってしまい新生児のニックを受け入れることができなかったのです。

しかし、神さまが両親の心に触れてくださり、彼らはニックさんを親の愛情で受け入れていきました。



でも、彼自身が物心ついたころには、両手両足のない自分に対して、生きる目的理由が見出せなかったのです。



『もし、僕の事を愛してくれる神さまがおられるのなら、なんで神さまはぼくに手足をくれなかったんだ?どんな人生が待ち構えているんだ? そして生きている価値が全く見えませんでした。



神さまの約束からどんなにかけ離れているにせよ、自分の人生が神さまの目的からどんなにかけ離れていようと、。。。。神さまの約束である勝利は、自分自身の力では絶対に乗り越えることができなことに気づくことから始まるのです。



手足のない自分を人々はどう思うかという恐れ!自分の将来に対しての恐れ!でも、あなたの名前も神の手のひらに刻み込んであるのです。あなたの人生にすばらしい計画と将来を備えておられるのです。どんな状況を通らされているにせよ、神さまはご存知であり、そこから引き上げてくださるのです。



私は神さまに両手両足を願いました。イエスさまの救いを人々に伝えるには前に、両手両足が与えられる奇跡が必要だと考えていました。その事を通しても、神さまの偉大な力を人々が知るきっかけとなるからです。



でも、神さまは私の心にささやかれたのは『ニック、手足がない姿のあなたこそがミラクルなのです!』



手足の無い男が微笑んで人々に勇気を与えているミラクルを誰も論議できないのです。手足の無い男の内からのエネルギーに論議できないのです。神さまにある希望に論議の余地はないのです。



どのような境遇でありにせよ、神さまはすぐに状況を変えられないかもしれないです。でもその出口の見えない絶望の状況から神さまのある希望に入れてくださいます。』

     
神は良いお方で、悪魔は悪い奴!
人間の良識ある親なら、自分の子に自分以上の幸せを願うものでしょう。
神さまは私たちの天の父です。最高のものを用意してくださっています。
『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ(エレミヤ29:11)』

まずしっかり知らなくてはならないのは、神さまは希望ある良い将来を備えてくださっていることです。罪ある人間の親ですらも、自分の子に希望ある良い将来を願います。そして自分たちでできる限りの最高の衣食住や教育を与えるではありませんか?

神さまは私たち一人ひとりを愛しています。神さまの愛から外れる人はいません。自分が親で4人の子どもがいたとして、どの子も自分の愛の対象から外れる子はいませんよね。成績が悪かろうが、容姿が良くなかろうが、そんな事関係なくして自分の4人の子は愛しいです。

でも、どんなに愛しい子であっても、自分から心が離れ、音信不通で何の関わりも持とうとしない子に自分が用意している良きもの(祝福)を与えることができるでしょうか?どこにいるかもわからない、メールアドレスもわからない、そんな状況でなら、どんなに愛情を注ぎたくとも、どんなに経済的な祝福を流したくともできないです。

愛は双方があって成り立つものです。与える側と受ける側、ピッチャーとキャッチャーです。

この地にはのろいである貧困、病気、憎しみ、嫉妬、暴力、殺意でわんさかしてます。親の代々続けて癌をわずらったり、離婚していたり、付き合う男性はいつも暴力をふるうとか、自分も親から虐待を受けたから、自分の子にも虐待してしまうケースとか、親もアル中で自分もアル中であったり。。。。
そして『自分がこうなったのは親のせいだ!』と責任転嫁する糸口を見つけようとしたり、あるいは自分の運命とあきらめてしまっているのです。

でも、のろいは神さまからのものではありません。神さまは良きお方です。だから、悪魔のしわざであるのろい(暴力、病気、憎しみ、殺意。。。。)を打ちこわすために神の子キリストが人間という姿であらわれたのです。のろいを意味する十字架に行ってくださいました。イエスを十字架にとどめたのは釘ではありません。私たちに対する愛です。

先にも述べたように、『愛』は与える側と受ける側の双方があって成り立つのです。神さまの愛は注がれていても、神さまに背を向けていたらキャッチできません。その愛をキャッチできるように、向きを変えるのです。太陽に背を向けていればどんなに歩んでも、自分の前に陰ができます。神さまの愛に背を向けて歩むなら、恐れは私たちから離れません。死の恐れ、病気の恐れ、不況の恐れ。。。。。キリストの十字架の愛を自分がかかえているのろい恐れとの物々交換として、心で受け入れるとき、古いものは過ぎ去って、新しい心で生まれ変わることができるのです。

古い自分は、心の真ん中にいつも自分が座しています。キリストの愛を心に受け入れた途端にキリストが自分の心の真ん中にいてくださいます。だから、価値観が違ってくるのです。神さまが共にいてくださるから大丈夫といった確信に立たされます。

『だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(2コリント5:17)』

悪いことが続くのが運命と決め付け、恐れの中で生活しているくらいなら、神さまの愛を試してみませんか?
真剣に祈ってみてください。

イエスさま、あなたが私の罪、弱さのために十字架に行ってくださったことを心に受け入れます。あなたの愛を心に受け取ります。私を罪からきよめてください。恐れからたすけてください

     
ジーザスの人格を自分がどう捉えるかによって、自分のジーザスに対してのアプローチの仕方が違ってくるでしょう。以前聖書もよくわかっていない、読んでもいない、学んでもいなかった時の神さまの印象は、近づきがたいく厳しい、そんな印象を勝手に抱いていました。神さまの方としたら良い迷惑だったと思います。

聖書を読めば読むほど、ジーザスの人格はとってもフレンドリーなのを否定できません。ヨハネ4章のサマリヤの女性とのやりとりから見ても、虐げられている人たちに、率先して接近してゆくお方。サマリヤ人の女性も、彼女自身の罪の生活を言い当てられても、ジーザスとの会話に心地よさを感じ、、長話を楽しんでいます。

人々から嫌われていた取税人ザアカイに声をかけ、おまけに彼のお家で食事をしました。食事を共にすることは、フェローシップの象徴です。私たちも気の合う仲間と食事しますよね。

また何よりも幼い子どもたちが、ジーザスの周りに寄って来ました。幼い子どもは敏感です。親は別として、フレンドリーでない、自分を受け入れてくれない大人には寄り付きません。

そして、私たちに対して『わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。わたしはあなたがたを友と呼びました!』と言ってくださるのです。

人と人のつながりが希薄な時代です。子どもを虐待する親が増え、自分の老いた親が生きてんのか、死んでんのか、どこにいるかわからない。。。。無人島にいるわけではないのに、人は周りにいるけれど。。。。ハートとハートのつながりがない。用事がなくなれば、つながりもなくなる。

でも、『わたしはあなたのベストフレンド!わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない!』と言われる神さまがおられる。

孤独なとき、やるせないとき、絶望なとき、本音でこの神さまに囁いてみませんか?

フレンドと呼んでくださり、ベストフレンドになってくださるジ~ザス
さんきゅ~ジ~ザス!


     
人生論と言うと文化歴史に左右され、10人10色となるでしょうが、やはり古今ベストセラーの聖書から学んでみるのも。。。。。

『だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。』

ジ~ザスは私たちの人生を助けるために多くのことを教えました。このストーリーではどのようにしたら私たちの人生を強い土台の上に建てることができるか教えています。

人それぞれ何かの上に人生を建て上げていますよね。人間関係であったり、教育であったり、哲学や宗教。。。。雨や洪水は私たちの人生での困難を表していますが、年間3万人以上の方たちが自ら命を落とす現実社会です。命の大切さを述べるのも大切ですが、住まいやビル建築において土台作りが最優先ですよね。自分の人生の土台は何だろうか?そしてその土台は強く大丈夫だろうか?考えてみたことありますか?

人生の土台作りをしっかりしていきたいですね。神のことばを聞いて行なう者ですよ。だから、ベストセラーの神のことばである聖書を知って、聞いて、学んでいくプロセスで自分の考え方が変えられいきます。考え方が「できない、無理」から「できる、大丈夫!」に変えられてこそ、実行に移せるものです。

だから、人生成功したければ、聖書の学びはオプションでなくてマストでしょう。知らなければ、実行に移せないので・・・・・。

電気製品には必ず取扱説明書がついてきます。それを読んで、マーカーペンで線引いて、どんなに暗記できたとしても効果はありません。実際に書かれているとおりに、実行に移して機能抜群がわかるのです。

人生の取り扱い説明書である聖書を機能させていきたいです。土台にしていきたいです。

ジーザス最高!



     
ジ~ザスは人となるために、神のあり方を捨て、無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われたのです。(ピリピ2:6-8)

人間の一番の恐怖は死ですよね。そして私たちと同じように血と肉体を持ち、死からの復活を通して死の恐怖につながれている私たちを解放してくださっているのです。また、ご自身が拒絶、孤独、虐待、偏見、重圧。。。の試練を受けて苦しまれたので、苦しんでいる私たちを理解できます。そして助言を与えるだけでなく、私たちを助けることができるのです。(ヘブル2:14-18)

ジーザスは、私たちが罪人で悪いやつであったときに、私たちのために死んでくださったのです。ジ^~ザスを拒絶し、無視している時であっても、神さまの愛は私たちの上に注がれているのです。

会社の友人から借りている『告白』という本ですが、リベンジとか、罪責感とか、死の恐怖とかでくもの巣のように解決の糸口が無くぐちゃぐちゃしています。そん中で、殺人を犯した自分の息子をかばい、息子のありのままの姿を受け入れる母親の姿があるわけです。無条件で愛する母親の愛はすばらしく感動させられますが、他人に責任を押し付ける醜さ、憎しみの両面性をもった愛なのです。罪責感と死の恐怖に落ちていく息子を人間の優しさ愛で解決できないのです。結局親子心中を図るのですが、息子は拒んで、母親を殺してしまったのです。まだ最後まで読んでいないので、どんな展開になっていくか。。。

ここで、ジ~ザスの十字架の愛が登場してくれば、スカッとさわやか神の愛で解決できるのに。。。。
ぐちゃぐちゃなくもの巣のような光の見えないところでも、希望があるのに。。。小説だろうけど、神さまの愛の偉大さに改めて脱帽してしまいました。

神さまは、全く罪のない罪を知らないイエスを、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神さまの前で正しい者となれるためのです。(2コリント5:21)

これって本当だったら凄いことですよね。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、(あなたを)世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)』

主イエス様、私を救うためにこの世に来てくださったことを感謝します。私の罪のために死んでくださったことを感謝します。どうか私を赦し私の生活を新しくしてください

     
イエスは今までこの世に生きた有名な人々の内の一人です。漫画で描かれた歴史上の偉人伝シリーズの中にもあります。でも、彼はただの人ではないのです。

実際の誕生から何百年も前に預言者イザヤよってイエスの誕生が預言されているのです。どんな偉大人物であっても、預言されて生まれてきた人はいないでしょう。

「見よ。処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。(イザヤ7:14)」

それだけではなく、処女マリアが聖霊によって身重になったのです。(マタイ1:18-25)聖書に不妊の女性サラやエリザベツが子を産む話が出てきますが、処女が子を産むのはこれっきりです。生物学的に無理です。

そして誕生が奇跡だけでなく、悪霊を追い出し、病人を癒し数々の奇跡をおこないました。これも、預言者イザヤが預言しているのです。

『まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。(イザヤ53:4,5)』

このように聖書は、イエスがどのように死ぬのかも預言しているわけです。寿命を全うするのではなく、『罰せられて、打たれ、刺し通され砕かれる』。まさに、十字架刑ですよね。

十字架刑で33歳の生涯を終えるわけですが、。。。。
なんと3日後に復活してしまうのです。
『驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ここがあの方の納められた所です。(マルコ16:6)』

おまけに、自称『わたしは神の子だ!』と断言しているのです。普通言えないですよね。
C.S.ルイスはこのように結論づけています。
『われわれは、したがって、おそるべき二者択一に直面しているわけです。この人が、まさに自分で語られたような方であるのか、あるいは気のふれた人、あるいはもっと悪い者であるのかいずれかです。私には、その人が気のふれた人でもなければ悪魔でもなきことは、明らかなようにみえます。したがって結論として、どんなに奇妙であり、おそるべきことであり、あり得そうもないことのように見えても、私は、その人が神であり、神あったという見解を受け入れざるを得ません。神は、この敵に占領された地に、人間の形をとって上陸されたのです。』

今も生きておられるジ~ザス!私たちの罪のために死んだ神さまだけでなく、今も生きておられ、希望を与える神さまです。

イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。(ヘブル13:8)

ジ~ザス最高!


     
キリストは、子供にもわかるように当時の人たちの生活に密着した喩えを使って話されたのが興味深いです。ここでも、「自然界のぶどうの木と枝がどういう状態がおいしいぶどうの実をならせるのか」を問うなら、聞いている人々はわかりました。私たちもわかるはずです。

そして、『わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ15:5)』

枝が木から切り離されて放置されるなら、。。。。夏休みの自由研究になるかも。。。。。
1日目: 枝の葉っぱはまだ青々として変化はみられないです。
2日目: 葉っぱの元気はなくなってきていますが、まだ大丈夫そうです。
3日目: 葉っぱの広がり方がかなり小さくなって水分が抜け出てきています。
4日目: 葉っぱが茶色系になり、カリカリになってきています。
5日目: かろうじて緑色っぽい葉は1枚だけで、全体的にカリカリです。
6日目: 完全に葉っぱはミイラ状態で死んでます。(今日の可燃ゴミで捨てた!)

イエスは、わたしにとどまりなさい、ステイ(滞在)しなさい、と言っているのです。一時的にイエスのところに帰省するのではなく、ましてや家出人なら、カリカリ状態でしょうね。

でも住居人の特典は、『あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。(ヨハネ15:7)』です。

これ、本当だったら凄いよね!試してみません!高額な壷を買ったり、高額な地蔵を作ったら、願いがかなえられるって事じゃないですから、損はない。

1週間に1度だけでなく、毎日ジ~ザスから霊的な栄養分をダウンロードしたいですね。

本当にジーザスって最高!




     
『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。(マタイ11:28)』

先日来日した金賢姫(キムヒョンヒ)さんは、1987年に起きた大韓航空爆破テロ事件に北朝鮮元工作員として関与しました。115人の死者を出しました。事件直後に捕まったとき、自殺をはかりましたが、一命を取り留めたのです。

金賢姫



自白後、聖書を知り、イエス・キリストの十字架を信じクリスチャンになりました
『もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。(1ヨハネ1:9)』

祈りは、建前でなく心からの真剣な大胆な叫びです。敬語であろうが、ため語であろうが、声のト~ンがどうであろうが関係ないのです。

完璧な人間はいませんので、すべての者は過去の自分の発言や行動に後悔があるのではないでしょうか?どうやって、償えばいいのか苦しんでいるのではないでしょうか?
でも、『たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる(イザヤ1:18)』なのです。

試してみませんか!?

ジ~ザス最高

プロフィール

Esther

Author:Esther
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私はゴスペルが大好きです。I love Gospel!!
是非、クリックして聴いて歌ってみてください。
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