ゴスペルin動画

 ゴスペルをコンテンポラリーな分野から紹介していき、日常生活の中で元気をもらっているいきさつを綴っていく日記。
 


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『どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、(エペソ3:20)』

『私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。(ローマ8:32)』

神さまは、私たちが願い求める以上に、思う以上に私たちを良いもので満たしたいと願っておられる。

先日も3歳のニーナと一緒におやつを買いに近所のスーパーへ出かけた時のことだ。アイスが欲しいと言うので大きな箱入りセクションに向かった。でも、反対側の小さいアイスの方へ私を促して、彼女が欲したのは小さい1個だけ!

私は思わず、『これだけ?じゃあ、もっと他のお菓子を買おう!』とお菓子セクションへ突進。
ショッピングカゴにアンパンマンの絵がついたクッキー、チョコ、キャンディーなどなどを、『これはどう?あれは?』とニーナに聞きながら、私がボコボコと入れていく。

彼女が求めたのはたった1個のアイスなのに、私は彼女の願い以上に与えたいのだ。彼女が今までに私に何かしてくれたわけでもないし、今後何かを期待しているわけでもない。それはただただ『LOVE』を基盤としたものだ。そして私自身がすっごくハッピーだった。内からこみ上げてくる喜びだ。

聖霊が、まさに神ご自身がそういうものであることに気づかせてくれた。ニーナはわめきちらして泣きじゃくってお菓子を手に入れたわけではない。良い行ないをしたからご褒美というわけでもない。ただ私からの一方的な好意(恵み)だ。

私たち人間は真実でなくても、神さまは常に真実であり、ご自分を否むことができないお方である、(2テモテ2:13)

主イエスの十字架をとおして、神はあらゆる良きものをあふれるばかりに与えることができる方であり、私たちが願う以上に与えたいと願っておられるお方である事をもう一度心の深いところに啓示として受け取りたい。
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『信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。(1テモテ6:12)』



信仰とは、何か空気の中に溶け込んでいってしまうような、実体のないものではない。

望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものである。



こんな新聞記事を読んだ。

「何より本人の『力』を信じ、1日1日を大切にし、『大丈夫!』を呪文に唱えながら生き抜いて。。。。。。

朝日新聞より抜粋



キリストにある信仰で『大丈夫!』と宣言するのと、神さま信じなく呪文のように『大丈夫!』と言うのでは全然違う。『大丈夫!』とする根拠がない。100パーセントの保証がない。自信をもって確信させるだけの説得力が全然ない。



気休めの『大丈夫!』を呪文的に言われても、『何が大丈夫なんだろう?』と余計に不安に陥ってしまうのは、私だけだろうか!



神さまの偉大さを知り体験していくところに、心底から『大丈夫!』が湧き上がってくる。信仰はある意味で戦いだ。決して受身的なものではない。神さまの偉大さを受け入れるか、現状の困難さを受け入れるか!神さまの偉大さで自分を形成していくか、自分の弱さで妥協していくか。



パウロのように、『私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。(2テモテ3:7)』と言える者でありたい。


     
ー成功哲学より抜粋ー
『どんな仲間と付き合っているかによって、
          その人自身のパースナリティがわかります。』
 「類は友を呼ぶ」という諺があります。私たちはたいてい自分と同じ
 ものが好きだったり、同じ価値観を持った人を友達や仕事仲間に選び
 ます。

神さまとの関係が親密な者になりたい。信仰が高められたいなら、そうなるように自分に良い影響を与える人が周りにいるだろうか?不満だらけ、不信仰な人としか交わっていないなら、早かれ遅かれ自分も後退していく。

水を考えてみても、冷凍庫に入っていれば氷となって固体となるし、火にかければ蒸発して気体になるし、適温なところに置けば液体のままである。同じ水であっても環境を変えることによって違うものになってしまう。

神さまに対する信仰でも同じことが言えるだろう。ガジマ牧師のミーティングのようなところにいるなら、不可能を可能に変える神さまの現実性が否定できない。聖書に書かれていることが全くそのとおりであることが純粋に信じることができる。人は信じている以上のことにはチャレンジしないものだ。だから何を信念に抱いているかは大切!!

そして、自分をどんな霊的環境に置くかも大切だ。かつては、聖霊との交わりで熱いクリスチャンだったかもしれないが、自分の信仰(信念)が氷のように頑ななものになってしまったり、蒸発して神さまの存在すら信じえれない者になってしまうことだってありえる。

敵がしたいのは、私たちのイエス・キリストにある信仰を氷のようにしたり、気体のように蒸発させたいのだ。私たちの信仰こそが、神を喜ばせ、私たちの信仰こそが、祝福に預かる鍵であるからだ。
『信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6)』

     
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。

先日名古屋でガジマ牧師の聖会があったが、否定できない奇跡の数々があった。タンザニアの彼の教会では150人以上が死から生き返ってきている。
なぜ死人が蘇るような奇跡がワンサカと起こってくるのか?日本でも起こるのも時間の問題だろう。死人が蘇ってきて、周りの人々を恐怖に陥れるため?

神さまの願いは、すべての人が救われて、真理を知るようになることだからだ。人々が真の神を知るために、救われるために、いとも簡単に癌が癒され、盲人の目が開かれ、耳の聞こえない人の耳が開かれ、。。。。。

テクノロジー、科学を超越した神の力を知ることによって、人々が八百万の神々ではなく、すべての人の贖いの代価を支払った唯一の神を知るためである。  ジーザス最高

     
母親の自分の子に対する献身的な無償の愛には感動する。
決して完璧な母親はいない。でも人間の親として、わが子を守り、養い、育てるあの姿には脱帽してしまう。

最近知り合った33歳のシングルマザー!午前中は看護学校で看護師の免許を取るために学生をし、午後からパートで働き、家事をこなす。彼女と話していて母親のLOVEパワーをヒシヒシと感じる。結婚はしていないけど、子供がいる現状。

子供の虐待ニュースが絶えない日々だけに、シングルマザーの必死なわが子への愛に感動する。

あの愛パワーの源はどこから流れてくるのか?
『女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。(イザヤ49:15)』

神の無条件の犠牲的な愛が、わが子オンリーに流れる、流せる愛なのだ。

Happy Mother's Day!


     
『私は山に向かって目をあげる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。(詩篇121:1~3)』

希望が見出されなくて、絶望に陥る時ってどんな時? 
恋人に裏切られた時?みんな、何かに信頼を置いて生きている。自分であったり、自分の親であったり、政府や会社・・・・。それはそれで良いことだと思うが・・・・案外期待できない。人間ができるのは、ここからあそこまでと限界がある。

希望や期待って、約束の言葉があるときに強く働くよね。憧れの有名人が『いつか、あなたのお家にお邪魔したいな~。』って言ったとしても、『あっそ~。』で、右から左に聞き流すだけかもしれない。あんまり本気で取る人はいないだろうし、期待できない。『いつかって、いつなんだろ?』抽象的で、霧の中に消えていってしまう感じ。
しかし、『今度の日曜夕方6時に伺います。』と、電話で約束をまず破った事のない親しい友人からなら、本気に取るし、次の日曜までの数日間、希望と期待感でおもてなしなんかのスタンバイでエキサイティングに過ごすことになるだろう。その数日間、あたかも本人がいるかのように、どんな物が好きで・・・といった思いをめぐらすことだろう。
なぜって?その友人の約束の言葉に信頼を置いているからでしょ。『来るって言ったから、アイツ来るんだよ。』

信仰って信頼なんだよね。神さまの約束の言葉に対しての信頼!
まだ実際に玄関先に出現していない友人が、何があっても約束どおりに来ると確信できる信頼ってこと。

人間である限り、『絶対!』って言葉は使えない。信頼の置ける友人だって、前日にインフルエンザにかかってしまうかもしれない。絶対者だけが、絶対に、約束の言葉を破らない!!!神さまの約束の言葉には、裏切りがない。希望がある。期待が持てる。だから確信できる。

大学生の頃、当時まだクリスチャンではなかった私を聖書の言葉で励ましてくれたクリスチャンの言う『大丈夫!』には、ずっしりとした中身のあるものを感じた。ただ気ままに、何の根拠もない、気休めに言う『大丈夫!』とは全然違うものを感じたのを思い出す。   ジーザス最高!

     
神さまの約束は、『わたしは決してあなたから離れず、またあなたを見捨てない』

こんな詩を聞いたことがあります。
内容は、砂浜に2人の足跡がずっと続く。それは、作者とイエスさまの足跡が並んで続いていく。ある時点で、一人分の足跡しかなくなってしまった。その時は人生で一番辛く悲しいときだった。彼女は心の中で、『なぜあの一番辛く苦しいときに私を離れ、一人っきりにしたのですか?』
囁きがあった。『あの足跡は、あなたのではなく、わたしの足跡なのだよ。わたしはあなたを抱き上げていたんだよ。』 

道のない砂漠に放り出されたような時こそ、主イエスを褒め称える。
落ち込んでいる時でない。なぜなら、『わたしが道であり、・・・・』と断言され、道のないところに主イエス自身が道となってくださる。不可能な状況を可能に変えることができる方だからだ。私たちのマイナス部分を十字架を通してプラスに変えてくださる。

ジーザス最高!

プロフィール

Esther

Author:Esther
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私はゴスペルが大好きです。I love Gospel!!
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