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1969年、ジョン・レンダルとアンソニー・“エース”・バークという2人のオーストラリア人青年が、ロンドンの高級デパート、ハロッズで狭苦しく孤独に、かごの中で売られていた子ライオンを引き取るところから物語は始まる。ロンドンでも最もヒップなチェルシー地区にあった彼らの家での楽しい共同生活。
地域の牧師が、子ライオンを運動させるために敷地を使用してもいい許可を与え、ランオンはクリスチャンと名づけられた。
だが成長したクリスチャンを街中で飼い続けるのはどだい無理な話で、レンダルとバークは映画「野生のエルザ」のモデルになったジョージ・アダムソンの助けを借りて、彼をアフリカのサバンナに帰すことにする。
それから1年後、2人はクリスチャンをケニヤに訪ねることにする。すでに野生に戻って自身の群れを率いるようになったクリスチャンがかつての飼い主を覚えている確率は低かった。だがクリスチャンは、レンダルとバークの姿を認めると彼らの元に駆け寄り、2人に抱きつき頭をこすりつけて再会を喜び……。また、クリスチャンは、奥さんであるメスライオンを彼らに紹介するのである。
愛は限界を知らない、本物の愛情、友情は一生続くものだ。 ご無沙汰している友人か知人に連絡してみてみよう。そして自分がそうして良かったと思うでしょう。
もともと71年に「Christian the Lion」としてドキュメンタリー化された実話だが、37年後の今になってYouTubeにアップされた感動の再会シーンがこれまでに2000万回以上アクセスされ、号泣必至の映像として話題になっていた。
ソニーでは現在、レンダルとバークが72年に出版した「A Lion Called Christian」(邦訳「ライオン街を行く」)と、2人の半生の映画化権取得の交渉に入っているという。
『愛は決して絶えることがありません。(1コリント13:8)』
先週の月曜に、悪いニュースを聞いた。 ショックでかなり落ち込んだ。
食もすすまなかったので、かなり体重が落ちた。その点はうれしいが、心がドッス~ンと漬物石が入ったみたいで重たい感じ。
私たちは、この地上で生きている限り、試練と言うか、悲しい出来事は必ず遭遇するのだ。
この悲しさ、辛さの度合いが多少なりとも、人それぞれで、その時々で違っている。
ある人はそのようなたいへんな中を通ることに疲れきり、落胆で絶望の中で、自殺を考えるかもしれない。
どんな物事にせよ、どんな状況にせよ、2つの角度から同じものを見ることができる。例えば、コップに水が半分あるのを、『半分しかない!』と絶望で嘆き悲しむか、『半分もある!』と期待と希望に支えられるかだ。
あきらめや自殺が解決ではない。
私たちは猿から来たのではなく、神の最高な作品だ。
『私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2:10)』
神が、すべての者に備えられた良い行ない!その中を生きていくとき、History Makerになれるのだ。
本来History Maker は、特別な数限られた人を想像するかもしれないが、すべての者がHistory Makerであるべきなのだ。しかし、実際にHistory Maker になるためには、『神が共におられる人』だ。
どんな絶望に見える中でも、その真っ只中に神に介入していただくのだ。『半分しかない!』が『半分もある!!』に変わる。
神が、私たちの側についているかどうかではなく、私たちが神の側に、やり方に沿っているかが問題だ。今思うと、先週のあそこまで落ち込んだのがウソのようだ。今はケロリとしている。
気高き王よ
愛しているよ 求めているよ 最高に あなたは知っている
本当の言葉さ 作り物じゃない あなたのため いのち捧げる
気高き王よ 願いはひとつ 主よ一緒にいたい 主よ一緒にいたい
ジーザス我が救い主 永遠に賛美をささげます
6年前栄養失調で弱っているライオンを見つけ、コロンビアのこの女性は自分の家に連れ帰り介抱した。毎日一緒に過ごした。
ライオン君もすっかり元気になり、動物園と交渉して、引き取ってもらった。
そしてこの女性がライオン君に会いに、動物園を訪れたときのことだ。
一瞬、攻撃するかのように見えたかもしれないが、ライオン君からハグとキス・・・。
聖書に、『わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(詩篇103:2)』
神さまは、よく人をとおしてすばらしい事を私たちにしてくださる。
神さまに感謝することはとっても大切!そして、管となった人にも感謝したい。
結構、私たちは人の恩を忘れてしまいがちだ。このライオン君は、しっかり覚えている。
誰かに感謝したい人って・・・。 今日、感謝の意を表そう

もうかなり昔にリリースされた曲だ。当時はよく聴き、歌ったものだが、最近あまり歌っていない。
やはり、力強さは伝わってくる。天地を創られた神。偉大な神。一方では、私たち個人個人のニーズを知っておられ、そのニーズに応えてくださる。
今日も家の鍵、教会の鍵を紛失してしまった・・・・と一瞬思い、かなりパニクッてしまった。ポシェットに入れたつもりなのが、・・・ない。ジムで落としてしまったか?ショッピングセンターで落としてしまったか?スポーツジムに電話しようかと思いながら、祈った。『主よ、どこにあるか教えて。助けて!』 あった~。何でこんなとこにあんの?
私たちは、結構自分の頑張りだけで、乗り切ろうとする。神は、決して無断侵入はされない。私たちが『助けて!』 私たちが、個々の問題に関して介入を許可するなら、入室を許可するなら、入ってきてくださる。助けぬしだから。入室許可か禁止の選択権は私たちにある。
全知全能の神であっても、私たち個人の自由意志には決して触れることはできない。そして、私たちの日常な些細な事にも関心があり、関わりたいと願っておられるのだ。
叫べ全地よ
わが主イエスよ 救いの君
主の愛称える 命の限り
とりで力 慰め主よ
わが霊 魂 崇めよ永遠に
叫べ全地よ歌え 主の力と栄光
山も海も震える 御名のとどろきに
よろこべ御手わざを 永久に愛し仕える
全てに勝るイエスの愛
絵画はスピリトゥアルで、感情的であるが、12歳の天才画家によって描かれた。
『「父よ。彼らを赦したまえ!」と題する絵を、9歳の時に完成させたの。』 彼女の名はアキアナ。
6歳で絵筆を手に取り始めたが、神さまからのインスピレーションとしてのビジョンは、4歳の頃から始まった。
彼女のお母さんが言うには、『初めて私のところにやってきた時、彼女がしゃべっていること、すなわち、神からのビジョンが本当だってことがわかったの。』
アキアナちゃんは、お母さんにすごく詳しくビジョンを説明した。天国を訪れたときのこと・・・。
驚くことに、彼女のお母さんは、無神論者であった。神という概念は、家庭では話題にならなかった。
アキアナちゃんはお母さんに『私の言うこと信じて!神さまは私を異なった方法で、神秘的なところを通らせたいのよ。』
4歳の頃から、神さまとの歩みが彼女の生活の1部となり、最終的に彼女の家族にもそうなった。
彼女のお母さんが言うには、『神さまは、どの子をどの家庭に送ればいいのかわかっていらっしゃる。』
神を生き生きと絵で表現する。
彼女の才能は絵画だけでなく、数ヶ月前からピアノのレッスンを始めた。今では、もう自作曲を作ってしまうほどだ。
しかし、絵画はアキアナちゃんの驚くべき霊性さをとらえている。
信仰の真髄を絵で表現しようと・・・。そして他の人も同じように感じて欲しいと願っている。
『一番大切なのは、信仰で、信仰なくては、神さまとコミュニケーションすることができないの。すばらしいことよ!!』