ゴスペルin動画

 ゴスペルをコンテンポラリーな分野から紹介していき、日常生活の中で元気をもらっているいきさつを綴っていく日記。
 


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新たなスタートをきるチャンスは常にあることを知ってください。

初めて、厳しい試練に遭った時にはそう思えないでしょうが、私たちには、失われるこののない大切な財産があるのです。それは、私たちの信念、知力と、それを使う自由です。

この3つの財産を使って、自分を打ちのめしたものが何であるのかを理解することにより、新たな計画を立てることができますよね。

かつて持っていたお金も、今はもうないかもしれませんし、親しかった協力者も、今はもういないかもしれません。しかしそれでも失敗を経験したことで、もう2度と同じ過ちを繰り返すまいと心に決めることもできるでしょう。心に決めるだけでなく、ハードワーキングに対する報いとして、必ず益になるものを物質的にも受け取るのです。強調文

『信仰(信念)は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1)』

今どのような状況にあろうと、「何であれ、心に抱き信じきれることは実現できる」という硬い確信があるなら、そこには希望があり、リセットして再出発できるのです。

ハレルヤ!
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『欠点を指摘するだけでなく、長所についても言ってくれるような、度量のある人の批判なら、素直に受け入れることができるものです。』

誰かに批判された場合、心の中ではその批判が正しいと認めていたとしても、自分自身と自分の行動を正当化したい、と思うのがごく普通の反応です。そして言い訳を並び立てるのではないでしょうか。自分の親のせいにしたり、社会のせいにしたりして責任転嫁の矛先を考えうるところに投げつけるのです。

こんな状況に遭遇した時こそが、次の段階への踏み台にしていけるのか、つまづきの石にしてしまうのかの分かれ目なのです。

『悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(ローマ12:21)』

批判する人に対してリベンジして反発したくなるような時、その相手に善で祝福を返すなら、まさに成長できる絶好のチャンスの訪れなのです。

人生において大きな成功を収めた人たちには、たとえ不愉快に思うことがあったとしても、自分の感情はひとまず抑えて、他人から状況から学ぶ姿勢が身についているのです。

God Bless 2011!


     
ある方が言っていました。「子供の頃に楽な人生を送ってしまうと、大人になってから人生の厳しさを味わうことになります。」

『なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。(箴言6:6)』

『なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるのか(箴言6:9)』

『無精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ます。(箴言1:4)』

エバーグリーン・インターナショナル航空の創設者で大富豪のデル・スミス会長は、「貧乏な家に生まれたことを神に感謝しています。おかげで努力することを学びましたから」とよく言っていたそうです。

自力で頂点を極めた他の成功者と同様、スミス氏も、子供に与えることのできる最高の贈り物は、“ 努力の価値を教えること ”だと信じています。この贈り物は、無くなることも盗まれることもありません。

親にとって、自分の子供時代にはなかったものを、子供に与えてやりたいと思うのは自然なことです。しかしそのような気前のよさが、実は子供に与えることのできる最高の贈り物を、その子から奪い取ってしまうことになりかねないのです。

最高の贈り物とは、自分のことは自分でできるという、“ 自分の脳力に対する自信 ”です。

あえてわが子に厳しい人生を歩ませ、努力することの価値を学ばせるようにすれば、その子が大人になって成功する可能性が非常に高くなるのではないでしょうか。

勤勉に努力を抜きに報いを得ようと考えるなら、そこから逸脱すべきでしょう。

自分の能力に対する自信だけでなく、その能力を与えてくださっている神の全能で偉大さに信仰を置くなら、さらに成功のパワーアップになるのではないでしょうか。


『信仰なくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を(勤勉に、熱心に)求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。(ヘブル11:6)』

躍進ある年にしたいですね。

 


     
わたしを知らない者によって、わたしは誤って伝えられています。

わたしは怒りに満ちて遠く離れているのではありません。

わたしは愛そのものなのです。

そして、あなたを惜しみなく愛することがわたしの心です。

なぜなら、あなたはわたしの子であり、わたしはあなたの父だからです。

地上の父があなたに与えることのできないものをわたしはあなたに与えましょう。

天の父であるわたしは完全な父だからです。

あなたが受け取るすべての良い贈り物はわたしの手によるものです。

あなたに必要なものはすべてわたしが調え、あなたに与えます。

わたしが計画したあなたの将来は希望に満ちています。

なぜなら、わたしは永久に変わらぬ愛であなたを愛しているからです。

聖書より

     
『どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、(エペソ3:20)』

『私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。(ローマ8:32)』

神さまは、私たちが願い求める以上に、思う以上に私たちを良いもので満たしたいと願っておられる。

先日も3歳のニーナと一緒におやつを買いに近所のスーパーへ出かけた時のことだ。アイスが欲しいと言うので大きな箱入りセクションに向かった。でも、反対側の小さいアイスの方へ私を促して、彼女が欲したのは小さい1個だけ!

私は思わず、『これだけ?じゃあ、もっと他のお菓子を買おう!』とお菓子セクションへ突進。
ショッピングカゴにアンパンマンの絵がついたクッキー、チョコ、キャンディーなどなどを、『これはどう?あれは?』とニーナに聞きながら、私がボコボコと入れていく。

彼女が求めたのはたった1個のアイスなのに、私は彼女の願い以上に与えたいのだ。彼女が今までに私に何かしてくれたわけでもないし、今後何かを期待しているわけでもない。それはただただ『LOVE』を基盤としたものだ。そして私自身がすっごくハッピーだった。内からこみ上げてくる喜びだ。

聖霊が、まさに神ご自身がそういうものであることに気づかせてくれた。ニーナはわめきちらして泣きじゃくってお菓子を手に入れたわけではない。良い行ないをしたからご褒美というわけでもない。ただ私からの一方的な好意(恵み)だ。

私たち人間は真実でなくても、神さまは常に真実であり、ご自分を否むことができないお方である、(2テモテ2:13)

主イエスの十字架をとおして、神はあらゆる良きものをあふれるばかりに与えることができる方であり、私たちが願う以上に与えたいと願っておられるお方である事をもう一度心の深いところに啓示として受け取りたい。

プロフィール

Esther

Author:Esther
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私はゴスペルが大好きです。I love Gospel!!
是非、クリックして聴いて歌ってみてください。
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