Date:2009.06/26 [Fri]16:42 | Category:[ゴスペル]
マイケル・ジャクソンは今どこに?
マイケル・ジャクソンが突然死んだニュースがとびこんできた。50才!
『死』とは、肉体と霊魂が分離することである。本物の私たちは、霊なる者で、体は家のようなもので、体の中に宿る。心臓の鼓動が止まって、死がやってくると、霊である自分は、体から抜き出てくる。体は土に帰る。霊は永遠に生き続ける。永遠に!行き先は、天国か地獄かのどちらかだ。地獄は人間のために作られたのではない。悪魔とその手下どものため(マタイ25:41)のものなのだ。
天国や地獄はおとぎ話ではない、ファンタジーの世界ではない。現実にある。
宗教、哲学、善行、教育が、天国への道を可能にするのではない。天国への道は、イエス・キリストだけ。主イエスだけが、天国への道を可能にしてくださった。仏教徒であろうが、イスラム教徒であろうが、無心論者であろうが、何を信じていようが、主イエスだけが天国への救い主だ。口論や喧嘩をするつもりはない。愛を込めて、永遠の地獄の拷問から救われるために、全身全霊で宣言する。
他の道はない。イエスだけ!イエスだけ!
騙されないで欲しい!地獄は現実だ。結構いい人だったから天国へ行くのではない。人の良い行いは不潔な着物のようだ(イザヤ64:6)。罪のない神の子イエスの血だけが、完璧に罪から洗いきよめることができる。
この時代に、神さまは、死を体験した人たちをよみがえらせている。タンザニアのジョセフ・ガジマ牧師は言う。彼の教会では、約150人の人が死からよみがえっている。正直言って、聖書を純粋に信じるクリスチャンでありながらも、その話を聞いた時、呑み込めなかった。DVDを見て、確信しているのは、この終わりの時に、神さまはあらゆる方法を用いて地獄から救おうとしておられる。神は愛であり、一人として地獄に行って欲しくない。彼らは、地獄の酷さを同じように語っている。そして、一目散にイエスさまを信じるのだ。そして、他の人に『イエスだけが、天国への道!』と伝え周っている。生きている者は、疑いがあったり、忙しさで、霊的な目が閉ざされてしまっているが。。。。
騙されてはいけない。「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている。(ヘブル9:27)」手遅れになる前に・・・・。
永遠を天国で過ごすか地獄で過ごすかの決断をするのに、5分もいらない。たったの5分が永遠を決めるのだ。
何度言っても言い過ぎることはない。地獄はリアル!今年3月に2晩、同じ幻を見せられた者として、愛を込めて言う。地獄はリアルだ。
http://www.divinerevelations.info/
世界中で多くの人たちが、同じような幻を受けている。
あなたは愛されている。地獄から逃れる道は一つだけ。
約2000年前に、カルバリの丘で十字架刑になったイエス・キリストを自分個人の罪からの救い主として、心に受けいれるだけ。自分の罪を言い表して、赦しを求め、プレセントのように心に受け入れるだけ。西暦にあるように紀元前と紀元後で歴史を真っ二つに分けてしまった過去の人物としてでなく、自分の罪の代わりに十字架に行ったことを信じ、受け入れるだけ。
こんなシンプルなことが、永遠を決定つけるのだ。マイケルはどうだったんだろう?こんなシンプルな決断をしただろうか?
Date:2009.05/30 [Sat]21:54 | Category:[趣味日記]
永遠なる存在
人が『永遠』について考えるのは、お葬式の時だけかもしれない。さっきある知人が亡くなった連絡があった。しかしそこで抱く考えは、無知に基づく、感傷的なものにすぎないのではないか。『死』は誰もが避けて通ることのできない現実にもかかわらず、触れないようにして生きていく。そんな風潮だが、『死』の向こうに何があるか知らずに生きていく方が、よっぽど不健全で愚かだと思う。苦境に立たされて自ら命を絶とうとしているなら、よ〜く考えて欲しい! 自殺は解決でないことを!
長くて100年以上生きるかもしれないこの地上での人生は、本番前のリハーサルのようなものだ。地上の時間は、永遠への準備期間、試験期間と言えるだろう。永遠に比べるなら、この地上での時間は点のようなものである。
いつしか心臓の鼓動が止まる時が来る。聖書は、「私たちの住まいである地上の幕屋(テント)がこわれても、神のくださる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。(第2コリント5:1)」とあり、地上における体は、私たちの霊の一時的な住まいにすぎない『テント』と呼び、将来与えられる体を『永遠の家』と表現している。
この地上にはたくさんの選択肢があるが、永遠は2つだけ。『天国』か『地獄』
「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。(1テサロニケ5:9)」
イエス・キリストを通して差し出された愛・赦しをプレゼントとして受け入れるなら、永遠に神と共にすごすが、拒むなら、永遠に神と引き離された『地獄』なのだ。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。(2コリント4:18)」
目に見える以上のものがあることを知るなら、人生は永遠への準備であることがわかるなら、価値観も変えられ、優先順位も変えられていく。
日本人独自の『みんながそうしているから』『みんなも同じことをしているから』が、とりあえず大丈夫ってされているかもしれない。しかしその対象としている『みんな』がどっちに向かっているのかが、問題なのだ。
長くて100年以上生きるかもしれないこの地上での人生は、本番前のリハーサルのようなものだ。地上の時間は、永遠への準備期間、試験期間と言えるだろう。永遠に比べるなら、この地上での時間は点のようなものである。
いつしか心臓の鼓動が止まる時が来る。聖書は、「私たちの住まいである地上の幕屋(テント)がこわれても、神のくださる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。(第2コリント5:1)」とあり、地上における体は、私たちの霊の一時的な住まいにすぎない『テント』と呼び、将来与えられる体を『永遠の家』と表現している。
この地上にはたくさんの選択肢があるが、永遠は2つだけ。『天国』か『地獄』
「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。(1テサロニケ5:9)」
イエス・キリストを通して差し出された愛・赦しをプレゼントとして受け入れるなら、永遠に神と共にすごすが、拒むなら、永遠に神と引き離された『地獄』なのだ。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。(2コリント4:18)」
目に見える以上のものがあることを知るなら、人生は永遠への準備であることがわかるなら、価値観も変えられ、優先順位も変えられていく。
日本人独自の『みんながそうしているから』『みんなも同じことをしているから』が、とりあえず大丈夫ってされているかもしれない。しかしその対象としている『みんな』がどっちに向かっているのかが、問題なのだ。
Date:2009.05/25 [Mon]11:50 | Category:[趣味日記]
祈り
コロサイ4:2
「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」
『祈り』と言うと、かしこまってしまって特定の形があるように考えがちかもしれない。
ベニー・ヒン牧師のTV番組で教えられたことだが、・・・・・、
なぜ祈りが大切なのか?
サタンは、滅びへの罠をとどめる事なく、計画しているからだ。肉的な自分の頑張りでは、効果的な祈りはできない。聖霊によって祈る。
祈りがなければ、絶対に神にある召しを達成することはできない。救われたクリスチャンであるのに、何で祈る必要があるのか?救いの中に留まるために!!『・・・・・恐れおののいて自分の救いを達成してください。(ピリピ2:12)』
そして祈りは霊的な呼吸で、聖霊の息を吸い込むことである。クリスチャンとして祈りがないと生活なら、霊的に窒息状態で、枯れて死んでいってしまう。
祈りがあるからその結果として主を褒め称え感謝する行為ができる。すなわち息を吸い込む結果は、息を吐き出すことであると同時に、霊的に息を吸い込むことが祈りであって、息を吐き出すことが賛美になる。
おもしろい表現だと思うし、その通りだ!すべては神から与えられ、神に帰す。
ところで、こんどの日曜は聖霊降臨ペンテコステになる。初代教会に聖霊が激しく臨んだのは、120人が一緒に一致して祈っていたときだ。
Let's pray in unity ever before!
「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」
『祈り』と言うと、かしこまってしまって特定の形があるように考えがちかもしれない。
ベニー・ヒン牧師のTV番組で教えられたことだが、・・・・・、
なぜ祈りが大切なのか?
サタンは、滅びへの罠をとどめる事なく、計画しているからだ。肉的な自分の頑張りでは、効果的な祈りはできない。聖霊によって祈る。
祈りがなければ、絶対に神にある召しを達成することはできない。救われたクリスチャンであるのに、何で祈る必要があるのか?救いの中に留まるために!!『・・・・・恐れおののいて自分の救いを達成してください。(ピリピ2:12)』
そして祈りは霊的な呼吸で、聖霊の息を吸い込むことである。クリスチャンとして祈りがないと生活なら、霊的に窒息状態で、枯れて死んでいってしまう。
祈りがあるからその結果として主を褒め称え感謝する行為ができる。すなわち息を吸い込む結果は、息を吐き出すことであると同時に、霊的に息を吸い込むことが祈りであって、息を吐き出すことが賛美になる。
おもしろい表現だと思うし、その通りだ!すべては神から与えられ、神に帰す。
ところで、こんどの日曜は聖霊降臨ペンテコステになる。初代教会に聖霊が激しく臨んだのは、120人が一緒に一致して祈っていたときだ。
Let's pray in unity ever before!
Date:2009.05/24 [Sun]20:22 | Category:[趣味日記]
The Heart of Worship
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。(コロサイ3:23)」
リック・ウォレンの本にも書いてあるが、神に喜ばれるために私たちがする行為はすべて礼拝ワーシップになる。
ワーシップ(礼拝)は、特定のスタイルをした音楽と捉えがちであるが、音楽を遥かに超えたものである。
自分が喜び楽しむために礼拝するのではなく、神に栄光と喜びすべてを帰す動機からなるものすべてが礼拝なのだ。
毎日のありきたりの生活、寝ること、食べること、仕事、学業、雑用さまざまのすべての活動を、神の前にささげるものとして差し出す時、神の臨在を意識しながらそれに打ち込む時、礼拝になるのだ。
何年か前になるが、ホームレスの人たちに食事を配ったり、聖書のことばを分かち合ったりしていた。
特にクリスマスシーズンに彼らのために、クリスマスパーティを企画した時だった。食事の準備をしていた。私自身疲れていたと言うか、自分たちのしている事がわびしくなってきた。時間、お金、労力を費やしても、何の実も見ることができない。彼らの態度は、横柄!『ありがとう!』の一言もない。重い鍋を持っていっても、手伝う人はわずかだけ。それどころか、してもらって当然!といった態度だ。悲しくわびしく涙が止まらない。
他に誰もいなかった。そんな時、静かで小さな声をはっきりと聞いた。"Thank you!"聖霊なる神の御声!
えっ、神は英語を話されるの?ご心配なく!神は、私たちが理解できる言語をご存知だから、それに応じて語ってくださる。心に強く響く御声だ。イマジネーションや幻想の世界ではない。リアルだ。
だから、悲しい涙でなく喜びの涙に化して、その場に膝まずき主イエスの臨在に圧倒されたのを思い出す。イマジネーションなら、こんな行為アホだよね。主イエスの臨在はリアルなのだ。
だから、何をするにも、人に対してではなく、主イエスに対してするなら、どんな活動も礼拝になりうる。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。(マタイ25:40)』

歌、曲、歌手その他いろいろ、力強くも、愛に満ち溢れたやさしさも兼ね備えた歌ですね。Thank you very much.
また、遊びに来ます。